夫の両親と二世帯住宅で同居しています
同居を始める前は心配事がたくさんありましたが、何とか円満に続けていれているようです
夫と結婚して義両親と『家族』になったとはいえ、まだまだ他人との共同生活だと思っている部分もあります
誰かと一緒に暮らすって何かと大変ですが、『義両親』と暮らす事は、また一味違った位置づけのような気がします
同居での不快な事は忘れる
人付き合いにおいて全般に言える事ですが、『この人はこういう人なんだから』と受け入れる事も大事です
あの時は、こう言われた
またある時は、こんな事をされた
嫌な事はいつまでも覚えていて、積もりに積もっていくものです
ある日我慢の限界がきて爆発!!なんてことが起きかねません
しかし、自分が不快に思った義両親の言動でも、義両親にとっては何気なく取った行動かもしれません
多少の嫌味が含まれていたとしても、笑って聞き流して忘れるのが大人の付き合いではないでしょうか?
この人はこんな人だから、仕方ないよね~
そう思っていると、多少気になる義両親の言動があっても許せたりします
『良い嫁』を捨てる
我慢ばかりしていると、不満が溜まっていきます
何故我慢をするのか?と言うと
義両親に『良い嫁』と思われたくて、言いたい事を我慢したり、義両親の望む行動を心掛けていたりします
私はバツイチで今の夫と再婚しています
元夫の両親には、かなり気を遣い『良い嫁』を演じていたように思います
一緒に居るとかなり気疲れしていて、結婚当時は毎週1日ほど会っていたのですが、かなり億劫になっていました
しかし、そんな私が今は夫の両親と同居中です
『良い嫁』どころか、『ズボラな嫁』になっているのではないでしょうか?
しかし、それで良いのだと思います
人間同士なので『違い』は必ずあります
私が気になるポイントと義両親が気になるポイントにも『違い』があるはずです
全てを埋める為に、どれ程の努力をするのでしょうか?
『良い嫁』を演じているより、素の自分を見てもらい仲良くなれた方が、お互いに気を遣わない気楽な関係を築けると思います
遠慮を捨てる
人は誰かに受け入れられると嬉しいものです
自分の要求と相手の『してあげたい』という気持ちが一致する時は良いですが、どちらかが過剰になると付き合いが上手くいかなくなってきます
義両親が何かをしてくれたりすると、お礼を言って受け取る事が多いですよね
義両親の方も良かれと思ってしてくれる事が多いし、受け取った方が喜んでくれる
それが分かっているので、受け取る事は『遠慮』しなくても、過剰なものまで断る事を『遠慮』して受け取っていたりしませんか?
断られると自分を否定されているように感じますよね
それと同じで相手からの好意を断ると嫌な印象を与えるのではないかと思えて、『断る』のって難しかったりします
しかし、自分にとって負担になる必要の無い事は『結構です』と断ることも大事です
礼儀を忘れず、感謝は言葉や行動で示す
いくら『ズボラな嫁』の私でも、言葉遣いであったり、態度には気をつけています
当然の事ですよね(汗)
夫を育てた人たちであり、私にとっては敬うべき人たちです
何かをしてもらった時、それを断ったとしても必ずお礼は口に出して言うようにしています
要所要所ではキチンとお礼をするようにしています
円満かどうかは義両親次第の部分は大きい
私も関係が上手くいくよう努力をしていますが、結局のところは、義両親次第な部分も大きいと思います
世の中には常識が通用しない人もいます
夫の両親とは結婚前は凄く揉めましたが、本当に優しい人達です
お互いが歩み寄ることで、円満に同居生活が出来るのだと思います
しかし、義両親がどんな人達であっても同居生活が辛いものか、そうでないかは自分次第だと思います
義両親がどんなに良い人であっても、自分が気を遣ってばかりでは疲れてしまいます
逆に義両親がとんでもない人達であっても、文句を平気で言えたならストレスは少ないのではないでしょうか?
読んでいただき、ありがとうございます
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